近頃版/another blog@hatena/Wiki/BBS
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テロという行為は悪である。ということになっている。
_もちろん(多くの場合は無差別に)人に危害を加え時には死に至らしめる行為が「正当」であるとは認めるべきではなかろう。しかし、忘れてはならないのは、テロという行為が「手段」に過ぎないという点であろう。
_テロを行うことそれ自体が目的であるならば、そんなことを行う輩は単純に排除してもよい相手であろう。しかし、多くのテロはそうではない。テロの背後にはほぼ必ず目的がある。すなわち、政治的な意志を発することである。
実行者レベルにおいては、違うかもしれない。しかし、テロを行わせると決断した(組織上層部の)政治家にとって、それは手段なのだ。彼等は、テロを行う以外に意志を発する方法を持たない、あるいはテロ以上に有効に意志を発する方法を持たない。だから、テロを行うことを(政治における手段として)決断するのだ。完全にそれ以外の方法を持たないか、あるいは現実的に考えてそれしか有効な方法がないから、決断はなされるのだ。
_その結果として、生命や財産が脅かされることはもちろん許し難いことである。だがテロを行う人々は、やはり生命や財産やあるいはそれ以上に貴重な何かを侵されたこと、あるいは侵されつつあることへの対抗として、その決断を下すのだ。
それは誰かの生命や財産を脅かすという点で不当な行為であるが、その行為の決断者がそれを成す以外にないという不等かつ不当な状況下にあることはなにより先に認識されるべきだろう。
_不当をもって、己に降りかかる不当を訴えねばならない。そのような構図があることを、忘れてはならないのだ。
LaughCat : 日を選んだな。清張賞受賞作とか、日本人は確信犯的テロリズムに対して同情的な気がする。『ジャッカルの日』のフランスなんかはどうなんだろう?
ynakata : 別段意図があって書いたわけではなく、数日前に同居人とたまたまこんな話をしたのを思い起こして書いてみたわけですが。/テロという不当な行為はもちろん断罪されるべきでしょう。しかし、テロを決断させたその背景をも断罪と共に抹殺するのは、単に愚劣な行為だと思います。同情的であるというのはその通りですが、時には同情することも政治家が行うべき仕事のうちでしょう。/「ジャッカルの日」は未読/未見です。残念。
ynakata : もちろん国家が、「認識した上で叩き潰す」という行為に出ることもあるわけですが。