はじめに――分岐型アドベンチャーゲームによる情報提示構造の変革
痕のシナリオ構造(とりあえず完了)
YU-NOのシナリオ構造(とりあえず完了)
ONEのシナリオ構造(執筆途中)
「アドベンチャーゲーム」、「ADV」と略記されることの多いこのタイプのゲームは、コンピュータゲームのジャンルとしては最初期から存続するものである。 ADVは、その成立以来、一本の筋道の各所に設けられたイベントに対して適切な行動を選択することで、そのシナリオを進行させるという構造を取ってきた(図1)。
これを大きく変革させた代表的な作品として、チュンソフトの「かまいたちの夜」が存在する。(なお、本文執筆時点では筆者に「かまいたちの夜」のプレイ経験がない。以下は、伝聞に基づいた話であることをお断りしておく)
従来型のADVにも、シナリオ分岐という要素はあった。しかし、それはあくまで一時的な(演出上の)分岐でしかないことが多く、「本筋と回り道」の関係を越えることはほとんどなかった。 また、中間のフラグの有無などで、不本意な終わり方――ゲームオーバーになる場合もあったが、それはシナリオの「中断」であり「失敗」であると言えた。
対して、「かまいたちの夜」では(いくらかの主従の関係は存在するが)基本的に分岐先のシナリオは等価であった。
「かまいたちの夜」の特徴的な点は、多様に分岐するシナリオの各所に情報を散らしておき、複数回のプレイを経て初めて全体像が見えてくるような構造が採られていた点にある。 もちろん従来型ADVにも、ある回り道を経由することでのみ手に入る情報は存在した。しかしそれは一本道のなかで情報を獲得したか否か、と捉えるのが妥当なものに過ぎない。シナリオ全体は、あくまでも一次元的である。 対する「かまいたちの夜」では、シナリオそのものが二次元平面に展開されていると言える。この、情報提示の構造の二次元化こそが、「かまいたちの夜」の広げた革命と言えるだろう。
さて、こういった分岐型シナリオと似た構造に、並列型とでもいうべきものがある。 並列型を図示するならば、図3のようになる。
並列型も、一つの開始地点から複数の終着点に至るという点では分岐型と同じ特徴を持つ。しかし、並列型ADVは、分岐した後再度分岐するということがほとんどない。一度分岐してしまった後のシナリオは、従来型の一本道シナリオと大差なくなる。
極端な話、並列型シナリオは、「複数本の一本道シナリオと、その導入部」とも呼べる作りをしていると言える。始めのいくらか、分岐に入るまでの部分はいざしらず、ひとたび分岐してしまった後の部分については、一本道シナリオとして論じるのが妥当であり、少々本論の守備範囲からは外れてくると思う。
従って本論では、主に分岐型のものに比重を置いて話を進めていきたい。
さて、分岐型ADVは、他のゲームジャンル、あるいは創作ジャンルにおける革新的作品と同様に、様々な追随者を産むことになった。 代表的かつ有名なあたりを上げていくと、ビジュアルノベルシリーズ(Leaf)、やるドラシリーズ(SCEI)、この世の果てで恋を唄う少女YU-NO(エルフ)などがそうである。 また、分岐型ADVの種類・分類についてはおにりんのほ〜むぺ〜じのノベルゲームの分析が詳しい。
本文においては、分岐型ADVに分類されるであろうもののうち、いくつかのタイトルについてそのシナリオ構造を、若干システム的な側面から分析・対比していくことで、これらのゲームの持つそれぞれの特性を明らかにしていきたい。
なお、対象とするタイトルの選択基準は以下の通り。
さて、以上のような基準により、現在選択(予定)されているタイトルは、以下の通り。
また、以下のタイトルについては本文執筆のためにプレイしたいと考えている。
なお、本文においては、分析対象としたゲームについては読者にもプレイ経験があることを前提として、とりたてて内容等の説明を行なわないものとさせていただく。内容などに参考となる文献を発見できた場合、随時リンク等行なって補足していく予定であるが、不備な部分も残ると思われる。そのような部分については、御容赦願いたい。
痕は、1996年7月26日に、Learより発売された、「ビジュアルノベルシリーズ」第2弾のノベル型ADVである。
さて、一般的には、痕はシナリオが(2次元的に)分岐していくADVという認識がされている。また、分岐によって大きく話を変化させる構成は、並列型とも思えるようなものになっている。
しかし、痕には「複数回プレイを前提として、プレイ毎に(クリアを条件として)選択肢が追加されていく」という特徴が存在する。プレイヤーには、既に巡ったシナリオへ分岐していく権利も与えられているから、直感的には一次元的だとは思わない。しかし選択肢の増やし方は制御されており、実質ほぼ1通りのプレイ順番(千鶴→梓→楓→柳川→初音)を強制されることとなる。
この構造を図持すると、図4のようになる。黒で描かれたものが見かけ上のシナリオ構造、赤で描かれたものが実際のシナリオ構造である。赤線を辿れば、一見分岐構造を採っている痕のシナリオが、実は一次元的な(一本道の)シナリオであることが見えてくるはずだ。
では、この構造は分岐のないシナリオと同じと言えるのだろうか?
確かにこの構造は事実上分岐の存在しない一本道である。しかし、この一本道には、分岐のないものと決定的に違う点がある。図4の、点線部に相当する部分だ。
各枝の終端、実線が点線になる地点において、一度シナリオは終了する。しかし、点線部を経た後、それに続く新たな実線部(再プレイ)は、前のシナリオの続きではなく新しい話として始まることとなる。
これは一本道シナリオでは見られない事象だ。一本道シナリオでは、「シナリオ」=「ゲーム」は常に連続している必要がある。シナリオ全体は、必ずひとつながりである。
だが、分岐型シナリオでは、個々の分岐した枝が別の枝(あるいは幹)につながっている必要がない。シナリオが連続している必要がなく、「ゲーム終了→再プレイ」というインターバルを置くことができる。
複雑で多様なギミックを説明する場合、一本道シナリオではギミックの様々なディテールをシナリオに絡めていかなければならなくなる。これは難しい作業だ。あまりギミックを明かすとネタがばれて終盤の面白味が減るし、ぎりぎりまで明かさないでいると終盤の情報量が増えて消化不良が起きる。「説明しない」という選択もシナリオライターには与えられるが、理解して貰えないまま終わる危険性が残る。
ところが、分岐型シナリオでは、ギミックの一部のディテールにだけ着目して、他の部分については無視を決め込むことができる。個々のシナリオに必要な部分だけを説明し、他は別シナリオで説明できる。説明すべき情報が少なくなるから、早期にネタバレする危険もないし、シナリオ終盤の展開にも無理が少ない。しかも、シナリオ間のインターバルによって、情報を咀嚼する猶予が発生するのも魅力である。
痕においては、この利点を利用して、「鬼=エルクゥ」という壮大な法螺話を無理なくプレイヤーに見せていき、その合間にいくつかのドラマを展開することに成功している。日本人に馴染み深い「鬼」という概念から誘導していくという手法も、この勝利も大きな要因ではあるが、シナリオ構造の寄与も大きいと言えるだろう。
この世の果てで恋を唄う少女YU-NO(以下YU-NOと表記)は、平成8年12月に、エルフより発売された、「マルチストーリーシステムA.D.M.S.」と称する分岐型ADVである。
YU-NOのシステム的な特徴は、エルフ公称ゲームジャンルでもあるA.D.M.S.(Auto Diverge Mapping System : 自動分岐マッピングシステム)に集約される。と言っても、A.D.M.S.自体は単に「分岐型ADVのシナリオ構造を図示していく」だけのものであり、さほど特筆すべきものではない。
しかし、これにシナリオ的なギミックでもある「宝玉システム」が連結することによって、プレイヤーには多様に分岐していくシナリオ木をマップと見立て、その中を移動しフラグを満たすことでゲームを進行させるという、従来にない新しいスタイルのADVとなりえた。
このため、通常A.D.M.S.と言えば(そう名乗っているのがYU-NOだけでもある(*1)ため)、「宝玉システム」も含めた、分岐木内を(ある程度)自由に移動しながらゲームを進行させるシステム、のことを指す。本文書でもこれに倣うものとしたい。
さて、実のところ、YU-NOという物語はあまり褒められた物語ではない。科学考証に依存したSF小説、あるいはトリックの精巧さに依存した推理小説のように、「並行世界原理」というギミックに極端に依存し、舞台装置のほぼ全てがギミックを見せるためだけに存在しているからだ。極端な話、ストーリーはギミックをプレイヤーに伝えるための方便以上になっていない。
しかしながら、YU-NOというゲームはその依存を極端に押し進めているものである。シナリオ構造そのものが、ストーリー上のギミックに繋がっており、またこれはシステムとも深く連携している。
結果としてYU-NOというゲームは、シナリオ・ストーリー・ギミック・システムの4者が不可分であるほど高度に融合することとなった。その構成手法には感服せざるを得ない。
では、YU-NOにみられるシナリオ構造を図示してみよう。図5である。平面が折り重なった構造をしているのがわかるだろうか。
プレイヤーは、表出している一枚の平面上を動くことができる。移動は、シナリオ軸に沿って、あるいは宝玉によるジャンプに制約される。しかし、アイテム等で封鎖されているポイントは別として、無限の時間を使えば平面中の任意の地点に移動できるので、自由に移動できるとみなして良い。(*2)
通常、プレイヤーは平面上を移動することだけが許され、積層構造となった別の平面に移動することはできない。しかし、分岐木中の特定のポイントを通過することによって、プレイヤーは別の平面へと遷移する。(*3)。ただし遷移は明示的でないため、プレイヤーがこれを意識することはない。
また、明示的なアイテムの有無による枝の封鎖までも行なわれている。しかも、従来のADVでは、ある枝で必要なアイテムはたいてい同じ枝で入手可能なものであったのに対し、YU-NOでは明確に別の枝にアイテムが配置されている。
YU-NOのプレイヤーは、従来のADVにない大量の資源(リソース)を管理する必要がある。すなわち「平面上の位置」「保有アイテム」「平面そのものの位置」の3つである。しかもこれらが複雑に絡み合っているため、プレイヤーがシナリオ構造の全貌を把握するのはほぼ不可能に近い。A.D.M.S.があってなお、その難易度は際立っている。
難易度の高さゆえ、プレイヤーには反復試行が求められ、(少しずつ「高さ」を変えてゆく)平面上を何度も移動することになる。この反復が、YU-NOというゲームの示すもの(=世界観)をプレイヤーに強く印象づける。本来ギミックの塊でしかないYU-NOというゲームは、こうして壮大なシナリオを持つストーリーとしての印象をプレイヤーに残すことができたのだ。
しかしながら、YU-NOはそのゲーム終盤、並行世界部分で謎とした各種のギミックを解明するため、一本道のADVである「異世界篇」に突入する。これは(背景に難解極まりない並行世界部分を持つことを除けば)至って普通のADVである。けれど、そのような方法を取らずとも、YU-NOに用いられた構成法をフルに駆使すれば、ギミックの解明などは可能であったのではないかという提言をもってYU-NOに対する分析を終わりとしたい。
さて、分岐型ADVの一例として提示しておいてなんだが、ONEのシナリオ構造そのものは、むしろ並列型ADVに近いものと言える
(分岐構造の図示)
(構造によって提示しえたものの分析)