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よりぬき Free Talk : AIR編


9.29_14:24

_ ちうわけでAIRをスタート。以下、いちおうネタバレですが極力意味不明気味に記述。明瞭になっちゃいそうな部分についてはコメントアウト(よりぬき編では、コメントアウト部分を別色で表示してしまっています。ネタバレ注意)、と。

オープニング
マクロスプラス?(*1)
DREAM・旅の続き
最初に迎えたエンディング。雰囲気的に、これだけでもゲーム作れるなぁとか思ってみたり。(*2)
DREAM・観鈴方向のBad数回
今週のいばら姫さん。要"さいごのカギ"?
DREAM・佳乃END
あまりに構造化された構造。引き込んでは突き放す海の波のリズム。
総体として感じるのは、ファンタジーに対する悪意にも似たこだわり。色濃い日本SFのカラー。というか、たぶんSFのほうがいい。 それから、日常に幻想を持ち込めばそれは病になるのでしょうが、だからといって両方残すのはどうかと思います。もしも、両方あるという状況を細密に描きたいのなら、もっとコンパクトな物語の方がいいと感じますし。

*1 : 冒頭での見事なまでの完結ぶりを感じさせてくれるあたりが、非常にそんな感じ。

*2 : 同時に、俺的最終感想もここに落ち着くのではという怖い予感もあったり。


10.1_19:48

_ AIR。とりあえずお話的には完遂。CG達成率97%。

ちうことで、再び極力意味不明気味に記述。明瞭な記述についてはコメントアウト、と。

_DREAM・美凪BAD(美凪との旅立ち)
想いすぎてしまった過ち、ですね。現代劇としてならこういう話の方が好み。
_DREAM・美凪END
ネタの出し惜しみをしなさすぎ、というか。こういうネタの使い捨て方には好感を持てます。――ちょっとオチつけすぎかな、とは思います。間を持たせるためには、必要な盛り上がりですけど。
_DREAM・観鈴END
順番的にはbestに解いてるように思います。僥倖ですな。
で、DREAM編全般に言えることですが、ファンタジー色を出しすぎです。後半、強烈な加速で大風呂敷の先端が光速を突破しようとするのですが、そのころには目が慣れてしまっていて、そこまで到達できていないように感じます。
もっと現代劇の範疇でできることがあるはずです。物語に必要な嘘はあるけれど、あまりにたくさんの嘘は麻痺を引き起こすのでは、ないでしょうか。
_SELECT GAME
ここの演出は、大納得。
_SUMMER
最初の夏の物語へ。
個人的には、この構成でここを語られるのはイマイチです。けれど、同じ物語を皆に伝えるためには必要な部分ですね。欲を言えば、もう少し短いかorゲームであるかが欲しいですけど。
_START "AIR"
そして、おそらくは最後の夏へ。
_AIR
完結編。この冗長さは賛否両論でしょうが、私はゲーム表現ならではの正解だと思います。欲を言えば、選択にならない選択肢がもっと欲しかったですけど。
技術論。「青空」のところでは、処理を奪ってメッセージタイミングを合わせてみたい。プレイヤーからインタラクションを奪うのは非道な行為だが、きっとそのほうがぐっとくる。
_the 1000th summer
というフレーズ、個人的には普通と違う解釈をしてたりします。@「1000年目の夏」ではなくて、「同じ夏の、1000回目」に解放される、というふうに取ってたり。ちうか、多分ダブルミーニングなんだろうけど。
_ようやっと、ここまで
こういうと失礼かもしれないけど、AIRってば「完全版ONE」なんじゃないかと思います。ずうっとやりたかったことが、ようやく成立したのでしょう。
どちらがよいかは好みの問題でしょう。紡がれなかったとこに想いを馳せる人と、そうでない人によって。
――で、次こそ異なる物語を紡いでくれることを期待したいです。ワンポケット作家で収まってしまうには、勿体ないと思いますし。
_欲張り
それはそうと、欲張りすぎだと思います。物語の結末というのはマクロorミクロのどちらかであるのが普通なのに、AIRってば「どっちも」ですから。それをやれちゃう才能&環境には、嫉妬してみたり。
_ぐるぐる〜
ちうことで、今更あちこち日記など巡回&コメントアウト部分閲覧。
_ カラス
北欧神話のオーディンは、2羽のカラスを飼っています。片方の名はフギン、思考を司るもの。他方の名はムニン、記憶を司るもの。彼らは世界を飛び回り、見聞きした出来事をオーディンに伝えるのが役目です。@思い出を届けるもののモチーフとしては、最適なんじゃないでしょうか。
参考文献として、北欧神話の研究サイト、raunijazを挙げておきます。オージンの項参照のこと。
_ 演出考
「ここぞという一瞬を表現するためのすべての企み」という考えに賛成。
次の瞬間や、少し後の状況を際立たせるためのテクニックは、まさしく「演出」でしょうから。
_別メディアなら
「お前はもっとできるのに」というのには同感。私としては、原作の作り方が気にいらんのですが(^^; 安易にファンタジーを使いすぎ。
もしも別のメディアでみるなら、舞台がいいかなぁ、なんて思います。構成は大幅に変えなきゃいけない(最後に飛び立つべき鳥は多分出せないから)だろうけど。
実際にやるとしたらどうかな。オープニング→SUMMER抜粋→DREAM観鈴→AIRなんて感じかも。で、人の形で道化役を一人出して。

10.2_18:57

_ AIR話。

_ 改編するというコンセプトだと、まんまYU-NOがそんなモチーフのような。つっても、YU-NOはシステマティックに過ぎるきらいがありますし、ノベル形式でやることに価値はありそうです。

_ 選択肢がないのは必然ですか。ですね。言われてようやく気付きました(恥) 

んでも、AIRで選択肢が消滅するタイミングは、ちょっと早いように思います。も少し行動介入できる(もとい、できそうでできない)期間が長い方が、好み(*1)です。 という物言いと、自らの「この冗長さは正解」という発言の間に、矛盾を感じてみたり(--;

_ そうそう、SUMMER編についての要望の、もう一つの可能性を書き忘れてました。もっと長くて凄い、というのもアリです。3行ウィンドウでやられると間が持ちませんけどね。

_ ときに、物語の作者ってのは、傲慢じゃなきゃいけないと思うんですよ。自分の中の譲れない部分についてだけは、もう絶対読者に媚びちゃいけない。この作品ではこれだけはやる、どんな文句を言われようとこれだけは果たす。そういう部分がないと、作品ってものは成立しない。もちろん他の部分でバランスを取らないと、一般性が失われたりしますけど。それでも、譲っちゃいけない傲慢さはある。

_ AIRにおいての譲れない部分は――「生きた軌跡の物語」であること、だと思ってます。過酷な状況があり、それぞれの想いがある。その中で、それぞれの人がどんな軌跡を描いて生きたか。それを伝えるための物語であって、そこに介入されたり同化されたりするわけにはいかない――だからこそ、AIRという物語は読者を弾き出すのでしょう。

序盤に散々ゲームを利用して状況を伝えておきながら、いきなり手のひら返すあたりは非道な気もしますが(^^;


*1こういう言い方って逃げですが、演出手法の違いの問題なんで、多分こうとしか言えない領域かと

10.13_21:34

_ AIR話。めっちゃネタばれです。

_ よく2次創作のネタにしづらい、とかいう評も聞こえてくるAIRですが、果たしてそうなのでしょうか。

つーか、単純にパッと考えただけでもですね、少なくともあと994個\1000 引くことの 佳乃、美凪、観鈴、神奈、往人の母親、ほいでもってAIRの計6つ = 994 、ってな計算のつもり。は夏の物語が語れる余地があるわけで。

もっとも、それではパーツはほとんど使い回せません。できあがるのはほぼ1次創作なシロモノでしょう。はたしてそれは2次創作なのか、はたまたそんなものが広く期待されるか、と考えると非常に見込み薄ですけど。

_ とはいえ、別に2次創作なんて作品に対するラブレターみたいなもので、期待されてるかなんてどーでもいい、という部分はあるでしょう。

2次創作の楽しみって、既に提示された世界を愛で慈しむことなんですよね。その世界が大好きだから、そこからのキャラや雰囲気や出来事を取り出して観察するだけで楽しい。どうしようもなく楽しい。

あれですね、思わずのろけ話を聞かせてしまうのと、根底は一緒かも(笑)

_ ところがAIRは、ずけずけとこの「2次創作の楽しみ」の部分に侵略をかけやがります。AIRという作品は、いわば世界を提示し、その世界を半ば強制的に愛で慈しませようとするのです――というようなことを、先日雪駄さんとこの掲示板に書き込んだのですけどね。

_ しかし、愛しかた・慈しみかたを強制しちゃうわけですから、当然不満を持つ人も出てくると思います。でも、それを敢えて踏まえた上で、伝えたいことを伝えるためにあれやこれやと工夫を凝らした。ものすごく計算した上で、全体構成を行っている。私には、AIRというのはそんな表現だと思えます。

_ 実のところ、AIRにとって全体のストーリーなんぞは刺身のツマで、でもツマをたらふく食べてからでないと肝心の刺身は美味しくないのです。

AIRは、そこでツマをたらふく食べさせるためにいろいろ悪どいことをしてます。そのへんの、ゲームを悪どく表現に利用してる(*1)あたり、私にとってはこの上なくやりたい放題に見えて、そそられる一品です。


*1TRPGとかのマスター経験者に多そうな考え方ですな

10.15_13:06

_ AIR話。「ゲーム表現としてのAIR」について、考察など。

_ 「半ば強制的に愛で慈しませようとする」行為は、キャラクターの記号化という点もそうですが、もうひとつ、シナリオ全体の構造による誘導もかかってると思うのです。というか、私が着目しているのはまさしくそこなのですけど。

_ AIRという物語は、明確に傍観者としての立場を要求してくる物語です。

ですが、それはただの傍観者ではありません。深く関わり、愛し慈しんだ世界が――どのようにあるのか、どのようになるのか。それを傍観することを求めてきます。

_ AIRという物語には、明確な3部構成が存在します。

すなわち、DREAM、SUMMER、AIRと名付けられたそれぞれのシナリオです。

そしてその表現の核心は、AIR編、特にその後半部分にあります。

_ DREAM編、SUMMER編の物語を受け取らせておく(願わくば随所で泣かせておく)こと。及びAIR前半で自分の行動を追体験させておくこと。こうすることで、プレイヤーがAIR後半に到達する頃までに、ユーザーの中に世界に対する認識を形成しようとしています。

この時点で、予想範囲内にユーザーが誘導されていることが、AIRという表現の大前提です。ここで、世界の部品を再構成して自己世界に適合した形に――なんてことをやられると、前提が崩壊します。

_ 物語的にはここ(AIR後半開始時点)がスタートラインです。既に20時間近くもプレイしてて、ようやくスタートラインです。ですがここまでの部分が無駄だったかというと、それはNoです。

ここまでの物語で、プレイヤーの中には

が形成されているはずです。

すなわち、SUMMERにて始まり、1000もの夏の間に幾多の方術使いの中を通り、最後の方術使い(= 往人:PC)を経由し――そしてまだ果たされていない想いです。

_ そして、AIRの後半が始まります。

これ以降、以後ストーリーに関与することはできません。

できることはただ、そこで起こる出来事を眺めることだけです。

そこでは、家族の物語が展開されます。

_ ですが。

もしもプレイヤーの中に、これまでに語られたいくつかの夏の物語が、それらを通じて受け継がれてきた想いが、その想いを果たそうと足掻いた記憶が、それらがプレイヤー自身の物語として息づいているなら。

そこで展開される物語は、自分(PC)を経由していった想いが達成される物語です。自分の想いを継いでくれた人たちが、足掻き、苦しみ、想いを成す物語です。

_ その想いの物語を感じさせるために、AIRという物語は、読者に傍観者としての立場を要求してきます。

大切に受け継がれてきた想いがある。その想いを自分(PC)も受け継ぐ。それを果たそうとする。果たせずに受け継がせてしまう。そうして受け継がせてしまった想いがどうなるのか。想いと共にある人が、どう生きていくのか。愛で慈しまずにいられないそれらを、傍観することしかできないこと。

_ 読者が弾き出されるのは、ある意味当然です。それは自身の物語でなく、手出しのできない彼岸の物語でなければならないのですから。

_ ちなみに、ストーリーコンセプト的に類似したゲームとして――「ドラゴンクエストV」、「俺の屍を越えてゆけ」を挙げておきます。

あと、やってること自体はかなり"YU-NO"の直系めいてると思うのですけど。あまり言及した文書をみかけませんね。――と思ったら、こちらのAIRプレイレポート(完全ネタバレレポート)の後半部分とかに、そんな記述をみつけました。内容もよくまとまってますし、オススメしときます。

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